第58段 社会を考える

 今日もまた惨事が起きた。大阪府寝屋川市の小学校での殺傷事件である。事件についてここでは詳しくは述べない。それはマスコミの報道や警察の捜査結果がこれから出てくるからである。
 「人の人生は川の流れのようである」と古の人は言った。ようは1分1秒先に何が起こるかわからないからである。今このサイトを訪れている間にも時は流れていく。そして1秒先に天災や人災が起こるとも限らない。極端なことを言ってしまえば、人生が終わるかもしれない。そんなことを考えていては全てがネガティブになってしまい、生きる希望もないだろう。
 自分だって駅員のバイトをやっているが、ホームに限らず駅構内は危険と隣り合わせである。駅員と言えども安全な身分ではない。去年は地下鉄の駅員が銃で撃たれるという事件だって起きている。それを考えれば、ホームで列車の発着監視を行っている駅員はより危険である。最悪線路内に突き落とされると言う事だって有りうるからだ。
 某公共放送のニュースでのインタビューで、「何処が安全なのか分からない」と答えている人がいた。今の社会を思えばその答えは一理ある。100%安全な場所は何処なのか?某国の地下にあるといわれる核シェルターか?どんなに完璧と言われても、0.00000000…01パーセントの確率で欠陥はあるものである。逆に言えば、欠陥があるからこそ成り立つものではないだろうか?民主主義にも社会主義にも共産主義にも資本主義にも帝国主義にも欠陥はあるものだ。その欠陥を補っていけるかで社会が動くのであろう。
 世の中のピラミッドは、底辺があるからこそ上が存続できるのであって、底辺がなければ上も何もない。バカがいるからこそ天才が引き立つものである。ようは正と負の相互作用によって世の中は動いているのだろう。
 人は惨事が起きた時、その場にいた人は役立てなかったことを後悔することがある。しかし過ぎたことを悔やんでも前には進まない。惨事を乗り越えてこそ前に進めると言うものだ。世の中は結果論である。

 まとまらない文章だが、管理人は時にこのような文章を書くことがある。「青二才のくせに」と思われても仕方がない。あくまでも一個人の考えである。


2005/2/14

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